0710
<夢のはなし>
夢って、眠る方の夢じゃなくて、夢小説、乙女向け的な夢のほう。
私は幼女時代からの生粋の夢女だけれど、それを夢ジャンルにいない他人に言うのすごく恥ずかしくて乙女ゲーやってるよ!推しのこと夢目線でみてるよ!って公言(?)するようになったのも結構最近できるようになったくらい。
"私如き"が夢妄想していることが恥ずかしいっていう恥であって決して夢そのものを恥ずかしいと思ったことはない。
古の女オタクならわかると思うけど、夢以外の一部の界隈(あくまで一部)では受け側に感情移入すると恥ずかしい、メアリー・スーは恥ずかしい、みたいな風潮があってその影響も少なからずある。確かに創作物にその奥にいる作者の人間性というか、モデルは私!みたいな自己主張を感じると純粋な気持ちで楽しめなくなる感情、わかる。まあそんな話はいま関係ないんだけど。
あと、それ以外にも私の生い立ちとか大いにあるんだけど、それも別の話。
とにかく、妄想の中に自己を登場させているという事実を他人にバレてしまうことがすごく恥ずかしかったんだよ!
妄想のなかに自己を登場させている、って言ったけどすごく広い意味で言っただけでよーく考えると私の夢への楽しみ方は完全自己投影型(ヒロインは私!)ってタイプではなく、自分の中に別の人格を形成してそこに感情移入して楽しむタイプ?なのかなあ。
私の中で夢小説の楽しみ方は大きくわけて3つあって
・完全自己投影型(いわゆるガチ恋、主人公(ヒロイン)=自分)
・自分の中に別人格を作って感情移入するタイプ
・完全オリキャラ(個性バリバリ)を作って楽しむ
以上3つ。
と言いつつ夢という存在を完全に3つに区分できるかと聞かれればそんなこともなく、上でも記した通り、私は自分の中に別の人格を作って楽しむタイプなんだけどそのうえで別人格にバリバリ個性もたせて楽しむから別の視点からみれば完全オリキャラで楽しんでるとも言えるわけで。じゃあオリキャラなんじゃない?って思うんだけど、その作り出した別人格だけで楽しむことはできないからオリキャラとしては楽しんでないのでは…?という結論。
ではなぜ、ガチ恋ではないのかというと、相手キャラの行動や挙動に萌えつつも「キモい」「私だったら絶対無理」という感情も両立している(いわゆる貶め愛?)わけで、でもそのうえで愛されたいわけではなくそういう部分を受け止めつつ愛し合っている二人がみたい~という感情があるのでそれってつまり愛し合うのは私じゃなくて、いいじゃん…?ということです。
ながなが書いてるけど、つまり私は夢を少女漫画に感情移入している、みたいな気持ちで楽しんでいるんだな!ってことで。
で、どうして私はそうした感情を恥じていたのか、ってついさっきまで考えていて、ふと何かを性的に消費することに自己が挟まっていることがとても恥ずかしいんじゃないかと行き着いたわけです。
どういうことかって、例えばヘテロやBLだと既存のキャラがイチャイチャしたりしなかったりすることに心動かされていて、完全第三者であれるわけで。そこに「最高…シコリティ高い(死語)」って冗談でシモネタ挟んでも生々しさはあまりうまれない。
けど、キャラクターとヒロイン(私が脳内で作り出したキャラクター)がイチャイチャしたりしなかったりしていることに対して「最高、抜いたわ…」とか冗談でも言ってしまうと、途端に生々しくて汚らしくみえてしまうわけで。
いやここまで完全主観で、夢じゃなくても生々しいわって言われたら「アッ…ハイ…すいません…」ってなるんですけど。
あとはヒロインの考えや、行動に私という人間を見出されることが怖くて恥ずかしくて本当に嫌なんだ、っていう気付き。あらゆる創作物はその人間がもっているもの、共感できない考えや許せない行動など含めて、いろいろさらけ出していると思うんだけど、その中でも夢ってジャンルは「自己投影」って部分が大きくしめているから、私という人間がそう、だと思われることに恐怖感があるんですよ。もっというと、何かに好かれようとしている自分を見られるのがすごく恥ずかしくてたまらない。
う~~~~んなんかまとまらない。最近そういうことに自覚がもてたのと、ツイッターで夢ジャンルだって別に隠れる必要はない!っていう話をよくみるから勇気をもらったんです!ってことでこの話おわり!!