肥溜めも

面白くないです

20211116

 地球の中でも比較的小さな島国の些細な失敗なのかもしれない。あの救世主様も生まれてから2000年経つのだから、投票に行った行かない、受かった受からなかった、より小さな問題ならば気に病んでベッドに潜り込んで枕の綿をフィルターにするのはどうにもやり過ぎを否めない。

 昔からお腹が弱かった。柑橘系、目安としてミカン一つ以上食べたら下す。酸っぱいものが大好きなのに、オレンジジュースを胃で泳がせると腸に響かせる。そういう子供だった。今ではミカンが油モノ、ジュースが酒に変わった。鼻血もよく出した。季節の変わり目、よく鼻水を垂らしては加減を知らず鼻をかんで血管を切っていた。
 目にわかる、肌で知れる、そんな変化は些細で重大で記憶に根を張る。笑って大丈夫と言ったけれど、本当は違うのかもしれない。反芻は常に違う結果を残す。噛んで味わって、飲み込む度口の中に違う結果が残っている。恐ろしい。一度で食べきってしまえばよかったのに。後悔先に立たず。モウモウ、のんびり生きたいと思っていたのに。鈍感さと、体感スピードの違いを知ったのはここ数年。

 世の中にあるものの殆どは、時間が解決してくれるし、そうでもないと2000年前に生まれた救世主様も言っていました。
 人生の通過点でたくさん出会った袖振り合った人たちのなかでも、忘れられないのは花ちゃんで。3年ある時間の中の2年を一緒に過ごしたというと多くのものを共有した気になれる。本当は1/30なのにね。
 特別仲違いした記憶もなければ、意見の食い違いもなかったけれど離れて数年後に遊んで、それきり。私にとって意見は常に一方的で相手から受け止めたことがなければ、私も投げた記憶がない。ただ、生きていくステージが違うと諦めてしまった。貧富の差を盾に離れたがもっと、根本的な育ちからくる考え方の違いを知った気がした。根底に妬みや嫉みがない人間を目の当たりにして羨ましくなってしまった。
 毒だ。
 この毒は同窓会でよくみた。仲良かったあの子とあの子。違う立場になっちゃった誰かと誰か。世界が変わると、見方が変わるのかもしれない。
 私は私が離れたと思っているが、それは逆なのかもしれない。広い世界をみた花ちゃんが、私の愚かさを目の当たりにしてとても一緒に入られる存在ではなくなったのかもしれない。
 恐らく、そうなのだろう。いつも正しい選択をする子だった。人は人を叩いてはいけません。姦淫は罪である。質素倹約は素晴らしい。そんなあの子が好きだった。だから、そういう人間になりたかった。なれなかった。私は罪の女にはなれなかった。そんな可愛げも、謙虚さもなかった。
 抜け出せる分岐はいくらでもあったのにも関わらず現状から目をそらし、他人から逃げたのは他ならぬ私なのだ。
 いま会えば違うのかもしれない。時間が解決してくれるし、そうでもないかもしれない。

 現状の感情整理に書いたけれど、結局雲の中。